錦織神社

 現在、須賀町は富田林市宮甲田に鎮座ちんざされる錦織にしこおり神社を、近隣の8つの町と共に氏神様うじがみさまとしている。
その錦織神社が、鎮座する一帯は、太古より織物の技能をもつ人々が百済より渡来し、定住したものと考えられ、「錦部郡にしごりぐん」と称されてきた。大和王権に通ずる河内の水路の要地に位置することから、もと水郡みずごり宮とも錦部にしごり神社とも称されていたが、明治40年に現在の「錦織にしこおり神社」と改称された。
 昭和10年の国宝本殿の修築時に出土した遺品から、平安時代後期以前の創建であることが確認された。国の重要文化財に指定されている社殿は、南北朝時代の正平18年(1363年)の創建そうけんと伝えられ、昭和8年には国宝の指定を受け、昭和10年には大修築を行い、昭和25年にも重要文化財に指定されている。最近では平成16年にも大修理を行ったが、創建当時のままである社殿は「錦部造にしごりつくり」と称される独特な建築様式を有している。特に屋根の形状である正面千鳥破風しょうめんちどりはふ向拝三間こうはいさんけん軒唐破風付檜皮葺のきからはふつきひわだぶき極彩色共斗栱拳鼻ごくさいしきますがたときょうこぶしばなの手法が、建築史上の貴重な様式として有名であり、江戸時代の日光東照宮の拝殿などもこの様式が影響を与えたと伝えられている。

前号で記している通り須賀町は、旧称「錦郡新田にしごりしんでん」と呼ばれ、当時は地元に菅原道真公すがわらのみちざねこう天満大自在天神てんまんだいじざいてんじん)をご祭神とする天満宮社てんまんぐうしゃ(あるいは菅原神社すがわらじんじゃ)がまつられていたが、明治政府の政策により、明治41年2月に、錦織神社に合祀されることとなり、須賀町も錦織神社の氏子として現在に至っている。

鎮座地富田林市宮甲田町9番46号
御祭神 主神品陀別神ほんだわけのかみ
素戔嗚命すさのおのみこと
菅原道真公すがわらみちざねこう
配祀天照皇太神あまてらすおおみかみ (もと錦織)
伊戔円尊いざなみのみこと (もと甘山)
倉稻魂神うかのみたまのかみ (もと加太)
天水分神 あめのみくまりのかみ(もと須賀)
高龗神たかおかみのかみ (もと伏山)